思い出のある名瀬新港
2016-01-08
プー太郎をしていた20代の終わり頃、いつものように名瀬新港に来て、缶珈琲を飲みなから時間つぶした思い出の
場所であり、カーフェリーが毎日就航して鹿児島市や各離島に出港する場所でもある。
さて写真は工事中の港である。
結果的にどうなるのか、わからないがここにカーフェリーが接岸することになる。
不思議なのは、人口減少というのに土木工事だけは相変わらず好調である。
無駄な設備や施設が多すぎる。
まっ、港湾である。何があるのかわからないから拡大政策もいいのだろうか。
納得いかないところもある。
これで島民は幸せ計画になるのだろうか。
貧困家庭や生活保護者が多い、この島で港湾の拡大で経済効果があるのだろうか。
確かに物資はカーフェリーで運ばれる。
毎日接岸しては多くの貨物を降ろして行く。
ありがたいが時々、見送りに行く際に、フォークリフトで運ばれるコンテナが空っぽではないか勘ぐる。
GDPという。これは国内総生産だ。
考えてみれば、奄美大島の経済を考えれば島内総生産となるが、どれだけあるのだろうか。
全てが外部頼みである。
多額の税金を投入しても、発展さない奄美大島。
しかし、沖縄県は使い切れない程の税金が爆弾投下され、辺野古基地の問題で爆弾化されてる。
同じようには考えられないが、思い出深い、港に来ると多くのことを考えさせられる。
常に考える。常に次を考えている。実行する、出来ない。それでも果敢に挑戦している。
自分にも、世間にも。
多くの乗船客が色々な思い出や仕事を背負って出港して行く。
幸多かれ。と窓を開ければ港が見える自宅から祈っていることもある。
あっそうだ。出会いと別れの場所でもある。
今は、あまりないかもしれないけれど。
私には心あたりがある(笑)。
何となく、思い出に浸っている。