ブラ古仁屋3。
2018-12-01
ここを歩いていくと、加計呂麻島が観られます。
ここを走っていくと、西古見(にしこみ)の方角です。
ミドリ薬品(マツモトキヨシグループ)もあります。
たしか昭和33年頃に古仁屋で大火がありました。
そのときの話などをまじえながら、どのようにして古仁屋が発展していったのかを、事細かに説明がありました。
なるほど、なるほどの連続。
古仁屋は、もちろん奄美大島の人たちだけではなく沖縄、与論島、おきのえらぶ島、徳之島からも移住された方々が住み着いて発展しました。
また九州からも移住してきたようですが、戦争が始まるので地元の人達意外の財閥というか社長さん達は地元に戻りました。
ところが、終戦後に戻りたくても奄美群島はGHQの支配下にありました。
その当時は時代がひっくり返り、丁稚奉公だったり、会社や商店を管理していた人たちがあとをついで発展したようです。
奄美市名瀬も同様ですね。
そろそろ2時から4時までの予定が、いよいよ4時頃になりました。
ふじえんでお茶時間をするということで、少しだけ遠回りしながらブラ古仁屋の最終でした。
町さん有難うございました。
また、やりましょうね。
奄美大嶋観光ガイド
世界で、一番面白い観光ガイド
基 武雄(もといたけお)
もしもし 070 - 7640 - 6770
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